イエのキオク。
幼いころ住んでいた「家」の記憶って、どんなものですか?
私は、あまり記憶として残っていないんですよね。
がんばって思い出してみても・・・
・ごく普通の農家の一軒家で一応和風だった。
・平屋の木造家屋の上に2階をテキトーに増築していた(今じゃありえない増築です(笑))。
・そのせいで、やけに背の高い2階建だった。
・瓦の一階の屋根の上にアルミのバルコニーがのっていた。
思い出すのはこんな程度。ここが素敵とか、居間の空間が気持よいとか、光の入り方が美しいとか
そんな感覚で「家」を見たことは一度もなかったってこと?車やテレビや机などは当然、モノとして
認識していたのに、「家」をモノ(物体)として意識したことがなかったように思います。不思議・・・。
そんな訳で、自分の幼い頃を思い出して、こうして住んでいた「家」のことを考えると、いつも悩んで
しまいます。
「家」が記憶に焼き付いていないのは
1.何の変哲もない家だったから?
2.物心ついたときから住んでいると、その「家」そのものが自分のスタンダードになってしまうから?
3.私の感覚が鈍く、感性が豊かでないから?
4.日本の建て替えサイクルが短くて、「家」に歴史の重みがないから?
設計者としては、住む人の記憶に残る「家」をつくりたい。特にそこで成長する子供たちには、「家」
をつくりあげた両親の感性を肌で感じて、感性豊かに育ってほしいと願っています。
でも、2や3の理由で記憶に残らないとすると・・・どうしましょう(笑)。ワタナベ少年は、2・3のウエ
イトが結構大きかったような(笑)。その領域では親も設計者も無力デス・・・。
幸せに楽しく暮らすための器が「家」ですから、それでいいんですが。
それでも1や4要素に対して、ガンバってもがき苦しむのも設計者。
丹精こめてつくりこめば、きっと伝わるものがあるハズですし、長く愛される「家」になり・・ますよね。
本日の音楽:RADIOHEAD [ the bends ] 03 high and dry
昨日の続きです。U2を後追いで聴くようになって、そのころRADIOHEADのセカンドアルバムが、ちょ
うどリアルタイムで・・・。当時、RADIOHEADはトリプルギターバンドと紹介をされていましたが、今
ほど革新的でビックな存在になるとは、想像もできませんでした。